大林宜彦監督のこと。

  • 2020.05.17 Sunday
  • 17:42

 自慢じゃないけれど私は、狸小路5丁目の狸小路ビル3F(1983頃)、南2西6の栄ビル4F(1987)、現在いるメゾン本府7F(2005頃)と、オフィスで3回も火事に遭遇している。いずれも少し煙に巻かれたくらいで無傷に近く、不幸中の幸いと言われている。が、人生に1度も遭わない人がいるのに、無傷とはいえ3回も遭うのは運が良いのか悪いのか……。ひとえに家賃の安さに目が眩み(実はビンボーだったから)、老朽化したビルの一角を事務所として借りていたせいだろう。その証拠に、前二つのビルは、大分前に取り壊しで姿を消している。

 ちなみに栄ビルの火災後、丸焼けになった2階の一室をのぞき見したところ、部屋の柱時計はダリの絵のようにひしゃげ、辺り一面は焼け野原さながらで見るも無残。映画の美術さんが造るセットと一味違って、余りにリアルな迫力に目を覆ったものだ。丁度その時、ロケハンで札幌を訪れていた大林宜彦監督が、娘の千茱萸さんと一緒に栄ビルの我がオフィスにいらした。幽霊とホラー好きの大林監督にその話をすると「焼け跡を見てみたい」と切望された。そこで2階の現場にご案内すると、即座に「できれば撮影に使いたい!」と言われたことが、今でも懐かしく思い出される。その大林監督は、今は遺作となってしまった「海辺の映画館―キネマの玉手箱」公開前の4月10日に亡くなられた。享年82。最期まで映画監督としての使命を果たされた現場を描く、壮絶なドキュメンタリーは、NHKで何度か再放送されている。機会があれば、ぜひ!

 大林監督とはその昔、尾道三部作の第1作「転校生」(1982)の記者会見で初めてお会いして以来、不朽の名作である第2作「時をかける少女」(1983)、富田靖子の寂しげな目が忘れられない第3作「さびしんぼう」(1985)、そして幽霊が魅力的な「異人たちとの夏」(1988)などの記者会見で何度もお会いしている。あれはいつ頃だったか忘れてしまったけれど、大林監督と妻でプロデューサーの大林恭子さん、さらに映画仲間も加わって、屋台でラーメンを食べたことがある。その後、ディープなすすきのにあるおでん屋「もっきりせんたー君町」にお連れした。そこで興に乗られた大林監督は、カラオケで松山千春の「恋」を熱唱。それがとてもお上手なのでびっくりしていると、その横で恭子さんが私に「大林は芸能人のカラオケ大会で優勝したこともあるんですよ」とそっと耳打ちされたことが、今でも忘れられない。監督の歌の上手さにも驚かされたが、内助の功とはこういうものかとしみじみ感心させられたからだ。

 そんな大林監督が、小樽を故郷とする山中恒さんの書き下ろし小説を映画化した「はるか、ノスタルジィ」(1993)を機に、作家性が濃厚で反戦を掲げる問題作に次々とチャレンジされた。しかし、その頃から私はひたすら本づくりの道に突き進み、徐々に映画界と疎遠になり、余り良い映画ファンとは言えなくなった。でも、最後まで映像作家としての人生を全うされた大林監督に、改めて敬意を表すると共に、遅ればせながら謹んでお悔やみ申し上げます。この遺作が公開されたら、いち早く映画館に駆け付ける所存です。

 

コメント
コメントする








    

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>

selected entries

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM