憧れのラブミー農場

  • 2020.06.14 Sunday
  • 15:50

 高校2年生の時、「東京のプリンスたち」(1959)という短編をひとつ読んだだけで、深沢七郎の大ファン となった。都会に住む若者の倦怠感を実に上手に掬っていて、当時の私は心をわし掴みにされた。以来、ずっとファンであり続けている。世の中にこの作家の熱烈ファンは多いので、今さら語るのもおこがましいけれど、とにかく生き方が面白い。傑作「楢山節考」(1956)を発表して作家になる前、日劇のミュージックホールで「桃原青二」(40歳)という芸名でギターを弾いていた。65年(51歳)で、埼玉県菖蒲緒街へ移住し、若者二人を引き連れて「ラブミー農場」を開く。幼い頃から百姓になるのが夢で、晴れた日は土を耕し、雨の日はステレオのボリームをあげてレコードを聴くという「晴耕雨音」の生活に入った。71年(57歳)、東京・墨田区東向島に今川焼の店「夢屋」を開店。手づくりの味で好評だったが、人気イラストレーター横尾忠則の包装紙を目当ての客が多すぎて厭になったこともあり、閉める。

 私の友人がこの深沢ファミリーの一人で、彼によると、深沢さんはご飯はいつもかまどで薪を燃やして炊き、送られてくる作家の新刊も次々とくべていたという。人気作家であっても容赦なくかまどに放り込み、とりわけ三島由紀夫の新刊などは装丁がきらびやかでハードカバーなので裂きにくく、「燃やしにくい」と文句を言っていたそうだ。燃やさなかった本は、白石かずこの詩集と名前を忘れてしまったけれど、とある作家の本だけだったそうだ。

 そういえば、深沢ファミリーの友人に「深沢先生が種イモにしたいから北海道のジャガイモを送って欲しい」と頼まれたことがある。そこで私は、ジャガイモだけでイイという彼の頼みを押し切って、いつもお願いする「土の会」の菊池さんに頼んで、カボチャを無理やり加えてもらった。東京へ行く度に水っぽいカボチャの不味さに辟易していたので、北海道のカボチャの旨さを自慢したかっからだ。これは80年代半ばの話である。すると返事は、「ぜひ、再び送って欲しい」だった。我が意を得たりとすっかり喜んだものの、先ほどの菊池さんに『もう出荷の時期は過ぎていて、同じ状態で美味しいカボチャは送れない」と断られてしまった。その頑固なまでの誠実さが、私には反対に嬉しかった。以来、「土の会」には今も秋になると、本州方面も含めてお願いしている。なぜ今頃、こんなことを思い出したかというと、ITの進化でがんじがらめにされている昨今、なんだか「土へ還りたい」という思いが募って来たからである。時を経ても変わらない世界がそこにあり、未来を考えるには欠かせないことが多い気してならない。

 

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